塾講師から転身、大型定置の網元になった

窪川 敏治(くぼかわ としはる)さん
東京生まれ、東京育ち。2011年7月に東京都から石川県かほく市への移住を経て、2012年1月に加賀市に移住。有限会社金城水産 網元。【インタビュー訪問日:2018年2月】

勤務先情報
有限会社 金城水産
〒922-0553 石川県加賀市小塩町大野山2-1
TEL/FAX 0761-75-1021
漁協TEL 0761-75-1111

 

一つの仕事を一生続ける人生より、違う仕事もしたかった

東京で育ち、大学時代に塾講師のアルバイトをしたのが縁で、卒業後もそのままそこに就職しました。首都圏を中心に予備校を展開する会社です。マネジメントも行うようになり12年程勤めました。仕事内容にも収入面にも十分満足していたのですが、そもそも10代の頃から、「一つの仕事だけを一生続ける人生は面白くないから、一度は転職したい。全く違う仕事もしてみたい」と思っていたんです。

その塾で学生時代のバイト仲間として知り合った妻の実家が、加賀市で漁業を営んでおり、いずれ大型定置網の権利を譲り受けるという話が出たのをきっかけに移住。加賀市の橋立漁港を拠点として漁業に就くことにしました。

塾時代は人が相手のサービス業、今度は自然相手の仕事に転職したわけです。

 

網元として経営を担いつつ、漁師の仕事も

当初は、転職の時期を40歳前後かなと考えていました。しかし、漁業にしかも素人で入るという方向が定まると、「身体が動くうちは船に乗り、仕事を経験すべきだろう」と考え、前倒しの30歳で転職することにしました。

基本は網元として経営側の仕事をする立場ですが、自分も船に乗り網を引きます。船の中では一乗組員として、船頭の指示のもとで仕事をします。一方で船上でも経営側の立場もあります。水揚げの様子を見て、多く入ったときは橋立だけではなく、近郊の福井・金沢・氷見の市場にも持っていくことになります。船上でそうした判断をするのも網元である私の仕事。輸送トラックの手配等も船の上で済ませます。陸に上がると、他の乗組員は網の修理などをしますが、自分は網元として売上集計や販路開拓など、営業的な仕事もしています。

 

若い人たちへ伝える役割も。これまでの経歴が活きる

漁以外の役割として、“教える仕事”もしています。全国の漁業就労センターでの講義や、県内で水産コースがある能登高校でも授業を行っており、将来働く上での心構えをお話ししています。

実は私は、大学は海洋大学を出ているんです。大学時代には漁業は考えていませんでしたが、今となっては県の水産課の方や製網会社等に同じ大学出身者の先輩・後輩がいたり、また漁業関係者の間でも海洋大出身ということで評価いただけています。漁業就労センターでの講義や、高校の水産コースでの授業などの“教える仕事”は、自分が海洋大出身であることや、前職で教えていたという経歴もあってお話をいただいているのだと思います。

また、登録小型船舶教習所の教員資格も取得し、それも毎月教えに行っています。様々な所で仕事をさせていただき、ネットワークの広がりにつながっています。

 

ストレスレスな働き方、しかも圧倒的に石川は住みやすい

定置網というのは、魚が入るかどうかは魚任せ。待つしかない。組織内での営業成績グラフの競い合いみたいなのもないし、一緒に力を合わせて仕事をする仲間同士という意識が強い。心が健康なまま、できる仕事だなと思います。

身体がきついイメージがあるでしょうが、多くの作業は機械がやってくれるので、重労働でもない。定置は船に乗っている時間も短い。

東京に年1回は帰省するのですが、「住む場所じゃないな」と感じて帰ってきます。忙しなく、家は小さいし庭はないし、ゆったりしていない。満員電車の疲れたお父さんを見ると、「どうなんだろう」と思います。こっちの人より全体に10歳ぐらい老けて見える気がします。

 

仕事も変える、家も変える、人生を面白く変える

東京の実家にいる父も、もうすぐ加賀に移住の予定です。近くに住んでもらい、新鮮な魚も食べてもらえればと考えています。地方は不便というイメージがありますが、実は何でも手に入ります。近くにショッピングセンターや大きな病院もあり、高校も複数あって生活には困りません。

人生を面白くするためには、仕事を変えることを躊躇しないほうがいいと思いますよ。石川でも仕事はいろいろあるし、住むところも、探せばいろいろあります。都市部で不満や疲れを抱いているなら、「仕事を変えちゃえば?」と思います。